以前、どなたかのママブロガーさんの記事で知ったのかな
「井の中の蛙 大海を知らず」
の続きがあること。
(すみません、言及したかったけれど、過去記事を探せませんでした💦)
「されど空の青さを知る」
このフレーズがすごく好きで、
ずっと印象に残っている。
調べてみると、
もともとは荘子の「秋水篇」から来ているけれど、そこには続きの表現はないから、日本に伝わった後に付け加えられたものみたい。
我が子に何を求めるか。
井の中の蛙にはなって欲しくないと思ってはいたけれど、
大海を知るということは
良いことばかりではなく、苦労も辛いこともたくさん経験するということ。
むしろ、苦労の方が多いんじゃないかな。
勉強もそう。
はじめは好奇心から入っていくけれど、
続けると必ずスランプは誰しも訪れるわけで、
理解できなくて苦しむ時期、
思うように進まなくて苦しむ時期、
そこに試験なんてものが加わろうものなら
そのプレッシャーに負けない精神力も必要になってくる。
どんなに勉強ができる人も
苦しむ時期はあり、
そして、それを乗り越えて大人になっている。
で、ふと思うのです。
井の中の蛙でも良いんじゃないかと。
空の青さを知っているって、
人生、それこそが一番幸せなんじゃないかと。
大海を知っていても、知らなくても
空の青さに気づけることが大事なんじゃないかなと。
。
。
。
夫とこの話をしたら
夫は言いました。
「平和な世の中が続いていたら、
それでもいいんじゃない?」と。
うん、そうだよね。
子ども達が大人になる将来において、
今のような平和な世の中が続いている確証はない。
今だって、世界の国では戦争をしているし、
そのことによって私達の生活にも影響は受けている。
遠い国の知らない世界での出来事では済まされない。
どんな世の中になっているのかわからない。
そんな時代を生きていく子ども達。
そう思うと、
必然的にどんな力をつけてもらいたいか。
どんな世の中であっても生きていける逞しさを身につけてもらいたい。
というか、親なら、その知恵を子に授けないといけないのではないか。
それが親の使命なんじゃないか。
今読んでいる本に
(白州次郎さんの「プリンシプルのない日本」)
「大海を知らずとも、井戸の中にいることを客観的に知ることが大事なんじゃないか」
という1節があり、
あぁ、なるほどな。確かにそうやな。
その視点を持てるかどうかが、この言葉の本質だなと思いました。
「井の中の蛙」といえば、
前にこんなことを考えていたなと
ふと思い出した、たけのこ母さんです👩